手紙 ~拝啓 十五の君から~


先日、15の俺から手紙が届いた。

自分へ

この手紙が俺の元に届くのか? 世紀末のノストラダムスやUFOはどっなった? 石油はまだ残っているのか? 今の俺はコンピュータプログラマを目指しているがどうなった? 第一俺は生きているのか?

自分という生物の存在には、不思議なもので、楽しくもあり悲しくもある。そんなもんだ。

未来のオレに贈る言葉。
ガンバレ俺!!

何一つ変わっていない自分に絶望した!

この手紙は中学3年の卒業直前に当時の担任のW先生が生徒に書かせたものを、W先生が預かっていたものである。
俺の手紙は2015年頃に届く予定だったみたいだけど、W先生が海外へ赴任するということで放出になったらしい。
正直、何を書いたかまで覚えていたので封を開けたくなかったのだが。

地元にいた小学校から高校の間の中で、自分の中でひときわ印象が強いのがこの中学3年の1年間である。
公立の教員なのに海外赴任の話に手を挙げちゃうようなチャレンジャーなW先生が担任で、いろいろやったのを覚えている。

特に職場体験と称して自分が将来つきたい仕事をやっている地元の会社に生徒を1日預け、その職場で仕事の体験をするというイベントが記憶に残っている。
自分が仕事するようになったから分かるのだが、これは本当に大変なイベントだったのだろうと思う。
生徒一人一人の希望は違うわけので、それぞれにマッチングしそうな受け入れ先の会社を探し、先方と調整し、生徒を送り出し、終わった後は生徒と一緒にお礼に行ったりと本当に大変だったはずである。
うちのクラスだけでやったイベントだったので、おそらくW先生一人だけで全部こなしたのだろう。
当時の自分は地元のコンピュータ系の企業にお邪魔して、コンピュータ触らせてもらって楽しかった!くらいで、働くということに対して真剣に考えたりはしなかったように思うし、受け入れ先会社側の大変さはもちろん(一般の職場にとって丸1日中学生を預かるってのは本当に大変なことだ)、W先生の大変さなんてみじんも分からなかった。
けれども、あれから十数年がたってあのときW先生が伝えたかったことが分かる(と思う)。
そして、あのイベントが自分にとって働くということの出発点になっている。
仕事を辞めたいと親にも友人にも職場にも(笑)公言し、すきあらばニートしたいと訴え、いかに働かないで暮らせるかを本気で考える俺ですら、仕事そのものに対して手を抜かないのは当時の体験の影響が大きいのではないかと今になって思う。

今では職場体験は学校全体の恒例の行事になったと聞く。
15という多感な時期に学校の外の本物の社会に飛び込ませるという意義は、それがたとえ1日だとしても本当に大きなものだと思う。
当時の自分がその意義が分からなかったように、中学生本人には分からないのだろう。
しかし、当時からコンピュータに関連する仕事に就きたいと思い、そのまま悩むことなくその方向に進路を進めてしまった俺ですら、これだけ思うことがあるのである。
大半が将来つきたい仕事なんて分からない中、ちょっとでも社会に飛び込むという体験は自分の将来を考えるようになるきっかけになると思うし、その意義は本当に大きいものであろう。
職場体験で行った先に、学校を出てから就職するなんて話もあるのかもしれない。そういえばそんな話も聞いたような気がする。

一緒にいただいたお手紙の中に

「人は何のために勉強し続けるのか」
私が今でも生徒に問いかけている永遠の課題です。
その答えは人それぞれで異なり、どれが正解というものでもありません。
私には私の答えがあり、今も学び続けていますし、学びを求めて海外への赴任も希望しました。
80歳になっても学び続けていると思います。

とあった。
W先生のクラスだった1年間、いろいろなことを通してそれを問い続けられたのだと思う。
上記の職場体験もその1つなのだろう。

「人は何のために勉強し続けるのか」なんて自分は未だに答えなど出ていないし、答えが出る気もしない。
自分にとってその答えは、たぶん勉強し続ける必要がなくなってからしか答えが出ないのであろう。
けれども、自分にとってはその問いを自問し続けることに意味があるのだろうなと思う。

W先生が海外に赴任するとのことだが、心から健闘を祈りたい。

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