正月休みに実家に帰省などをしておりまして長々と休養をしておりました。
実家に帰ると、ここには悠久の時間が流れているのでは無かろうかと本気で錯覚するくらいに変化を感じなかったりするのだけれど、うちの両親が全くテレビを見なくなっていたり、親父がやたら最近話題のスマートフォンがどんなものなのかをしきりに私に訪ねてみたり、お袋が若い趣味友達のブログを熱心に見ていたりと、「つい2年ほど前までおまえらデジタルデバイドの向こう側にいただろ!」と言いたくなるようなうちの敬愛なる両親にも情報化の波が押し寄せていたようです。
そんなお袋から以前より「ブログをしたい!」という相談を受けていたのだけれど、パソコン初心者のうちのお袋に対してリモートでブログ開設サポートなんてのはどだい無理な話なので、私の帰省の折にブログ開設のお手伝いをしてきました。
具体的には無料ブログサービスの選定と開設、加えてデジカメで撮った写真をブログに掲載するまでの簡単な手順書を作成して置いてきたのですが、私が実家からこちらに戻った後にもブログが更新されていたので、私がいなくてもブログ更新が無事できていたことにほっとしたところであります。
インターネットを利用する上で情報の受け手になるというのは、ある程度の年齢になってからでも、一般的な社会経験があって、PCなり携帯なりでWebブラウザを立ち上げることができればそれなりにできることなのではあるのだけれど(実際のところ、1年前はうちの両親がこれをしていたことにすら驚いたものだが)、さすがにそこから情報の発信側に回るなんてことは私から見れば想像していなかっただけにびっくりした。
私のように良くも悪くもインターネットを中心に生活が回っている立場から見ると、情報の発信側に回るというのは「全体の中でもほんの少しの人がやる特別なこと」(これ自体ある意味ではその通りなのだけれど)という強烈な思い込みもあったりするのだけれど、なにも情報を発信するなんてことはそんな大上段に構えるようなことでも無く、素朴で当たり前のことなんだと気づかされました。
発信側かそうでないかというくくりそのものがもはやナンセンスなのかもしれません。
一般家庭でのインターネット時代の幕開けあたりには「インターネットによって誰でも情報が発信できる時代へ」なんてことがしきりに言われましたが、本当にそんな時代なんだなぁというのをひしひしと感じるのであります。
90年代にインターネットで情報を発信しようと思うと、Webサイトを置くためのスペースを用意し、HTMLを覚え、といったそれなりのハードルがあったものですが、インターネットの歴史というのはブログなりSNSなりTwitterなりで情報発信のハードルを一貫して下げる方にしか進んでいないので、そういう時代になるというのは当然といえば当然なのだけれど、インターネットどっぷりの生活をしていると、どうもその辺の感覚を綺麗さっぱり忘れるというか、むしろ情報の発信側と受信側にはすんげぇ大きな壁があるような感覚に陥りがちになるのかなと。
まぁ、情報発信側のハードルが下がりすぎたおかげでTwitterがバカ発見器と揶揄されたりもするわけですが、それはそれでインターネットが未来に進んでいる証左なのかもと思ったりもするわけです。
スマートフォン+GPSによる位置情報で情報発信の未来がどのように進んでいくかってのを、よってたかって皆でいろいろやっているのが今ってことなのだろうとは思いますが、そろそろAR技術なんかを使った次世代の生活の基盤になるものが出てくるのではないかと想像しています。
私が気づかないだけでもう出ているのかもしれないけれど。
